カウンセリングの実践について説明する前に、確認しておきたいことがあります。自分取り戻しカウンセリングは、カウンセラーが解決を提示することではないということです。カウンセラーは、心理学の専門性を真剣に身につける努力をしながら、一人のクライエントの前ではまったく無力だという意識を決して忘れてはなりません。これを、
「無力の臨床」
といいます。無力を差し出すだけです。
自分はこの人のことをわかって上げられるという発想は、クライエントを深く傷つけることになります。「自分もそうだった」とか「自分の知っている人にも同じ体験をした人がいる」も、上から目線の言ってはいけないことばです。体験は全員オリジナルだからです。
それでは、カウンセラーは何をするかというと、クライエントに寄り添うことです。これだけです。教えるのでも指導するのでもありません。ズタズタに傷ついてやっとの思いで来談されるクライエントに指導すれば、傷に塩を塗り込むようなものです。
宗教が背景にあるコミュニティやケアの場面では、このことが理解されて来ませんでした。宗教者やカウンセラーは、クライエントに対して自分を上に位置づけます。教えてあげる調のセッションになります。この方の問題はこれだというふうにアセスメントします。これはもはや、自分を上位に位置づけているだけです。
このような姿勢は、浅い問題であればいざ知らず、自分取り戻しカウンセリングで向き合わなければならないような問題ではまったく機能しません。ますます、それまでクライエントが苦しんできた刷り込みをもう一度するだけです。宗教的コンテクストで苦しんできた経験を、わざわざカウンセリングに来てもう一度体験させてしまうことになります。クライエントはさらに傷ついて帰ることになります。
カウンセラーは、クライエントの上に立つのではなく、横に「いさせていただく」だけです。これを
「Lフォーメーション」
といいます。次の図をご参照ください。

右側の牧会モデルBがLフォーメーションです。L字のような位置関係になります。ちなみに、左側はカミと人の間に自分を位置づけます。縦に並ぶので、Iフォーメーションと言います。キリスト教牧会・心理臨床では機能しません。
いかだ同船の原則
カウンセリングがどのような方向に行くかを決める舵は、カウンセラーではなくクライエントが握っています。これを、
「いかだ同船の原則」
といいます。
クライエントが舵を握っていると、カウンセリングのセッションが思いもよらない方向に行きます。たとえば一例として、職場の対人関係で悩んでいる方が来談し、お話しを聴きながら、どこか腑に落ちないものをしばらく感じている中で、突然幼少期の性的虐待の話しが出てきたりするイメージです。カウンセラーが舵を握っていたらこのような現象は起きません。心理誘導、心理操作になってしまい、倫理的な問題も発生します。
カウンセラー主導のカウンセリングでは、まったく浅い、対人関係の調整、あるいはせいぜい「転移」について確認して終結ということになります。いわゆる、人生相談です。多少の心理学的知識がありますので、心理学的人生相談で終わり、「おれもちょっと仕事ができたかな」などと、カウンセラーだけが満足するセッションになります。クライエントは浅いところだけ撫でられて、失望して帰ることになります。
この時間・空間では、心を開くことができる、何を言ってもモラルで査定されることもないし、見下げられることもない。そのような安心・安全なセットアップを提供できることが欠かせません。そのためには、査定してはいけません。どこまで行っても、何が出てきても、モラルに反する内容が語られても、査定しません。傾聴し、共感し続けます。心と耳を研ぎ澄まして、傾聴・共感し続けます。
ところが、カウンセリングをして、場数が増えてくると、いつの間にかクライエントを査定するようになります。クライエントは間違いなく傷ついて帰ることになるでしょう。二度と予約を入れていただくことはありません。
続く

コメント