パターン2 カミを優先している
宗教の影響を受けるのですから当たり前ですが、人格形成のプロセスでカミを優先することが普通になります。
◆「ほしいならカミに祈りなさい」と言われた少女
夫との関係がギクシャクすることを何とかしたいという主訴で来談されました。幼い頃、母親が入信し、自分が気づいたときから、家族ごと宗教団体と深い関わりがありました。
日曜日と水曜日は、団体のプログラムに参加しなければならなかったといいます。中学生時代は部活動に入っていましたが、日曜日の試合に出ることは許されませんでした。
小学生のときのエピソードを語ってくれました。母親に、当時流行っていたゲームを買ってほしいと言ったとき、母親はこのように言いました。
「それがほしいなら、カミに祈りなさい。本当に必要なものならば、カミが与えてくれるから。与えてくれなかったら、それはあなたには必要ないものだったのよ」
この方は、そのときは何のことだかわからなかったといいますが、団体では子どもがそのような遊びをすることは良くないこととされていて、結局買いたくないことの言い訳にカミを使ったと、あとになってわかったということでした。
このやり方を否定するつもりはありません。しかし、見落としてはならない点があります。子どもにとっては、遊びたい盛りに自分がやりたいことを好きにできる期間が必要だということ、そしてさらに大切なのは、何を買ってあげるかではなく、心の交流です。親が買ってあげないという選択をしたとしても、子どもが自分は親に大切にされていることを感じ取ることができれば、子どもの人格は育って行ける可能性があります。
子どもからすれば、カミという目の前に存在する人格としてとらえにくい空気みたいな存在に置き換えられたことで、この世界が現実味に乏しいものになる可能性はあります。現実とイメージの乖離です。
このケースの場合、親が、本当の意味でカミと向き合っていない可能性があります。本当にカミと向き合っていれば、その子の目線で何が必要かを考えることができるからです。
幸いこの方は、幼少期からの振り返りをしながら、親が自分にしたことの意味を理解し、親への感情を表出する中で、徐々に自分の生き方を取り戻して行かれました。ご主人との関係も、以前ほどギクシャクしなくなったようです。
続く

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