これまで、宗教二世、教会二世のさまざまなパターンを挙げてきました。表れはいろいろでありながら、本質は一つに集約できます。
自立 すべてを説明する鍵
自立です。自立できないのです。自立できないので、生きづらさを抱え込むのです。自立するためには何が必要でしょうか。発達心理学的に言うと、
親の価値観から出て自分の価値観を作る
これに尽きます。
キリスト教は、自立を促す宗教です。
旧約聖書の最初に創世記という書があります。二章二四節に、「父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる」と書かれています。父母を離れる。つまり自立することがキリスト教の本質なのです。健康な宗教は自立を促します。
ところが、これがやりにくいのです。団体を維持しなければならない現実が、構成員の自立にブレーキをかけることがあります。みんなが自分の考えで動いていたら、組織はまとまって行きません。信仰を次の世代に伝える発想も、場合によっては自立の妨げになります。
健康な宗教は、メンバーが自立しながら、主体性をもって集まることを目ざします。宗教が背景にある家族も、意識して子どもの自立を後押しします。それがキリスト教です。
生きづらさの深層
宗教二世、教会二世の生きづらさの背景には、自立できない現象があります。自立できない生きづらさを抱え込むと、葛藤を解放するために次のいずれかの生き方を選択することになります。
1 自分に嘘をついたまま、自分で自分の人生を歩かないピエロを演じる
2 抱え込んだ葛藤の矛先を他者攻撃やハラスメントという形で外に向ける
同じ宗教にとどまっている方、同じ職業を選択した方がすべてそうだとは思いません。しかし、このあたりにことに気づいていない方もあるかもしれません。
自立できているかという観点で自らを省みることは必須です。自立とは「親と異なる価値観を持つこと」です。すでにクリアできていると思っている方も、このあたりの解像度が上がることで、より幸せな生き方ができる可能性があります。
発達心理学的に言えば、親と同じ職業を選択することにはリスクがあります。「そんなことない。自分の仕事は自分で選んだ。カミの召しもあった」と反論される方もあるかもしれません。その通りだと思います。しかし、宗教には、「宗教は正しい、自分も正しいことをしている」という前提があります。宗教的に正しいことと、本当の自分の姿が乖離していることがあるのです。いきいきと生きるために大切なのは、正直な心の素の姿、どう感じているかです。
続く

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