宗教二世、教会二世 自立度チェック!

宗教二世/教会二世

教会二世で専門職である親との葛藤を経験し、その葛藤を乗り越えて親と同じ専門職の道に進んだとします。ここで大切なのは、どのような意味でその葛藤を乗り越えたかです。

反抗もしたし、葛藤もしたけれども、結局親の言っていることが正しかったという結論であれば、その自立が確かなものかはその後の人生で確認し続ける必要があります。親の価値観に収まってしまえば、自立できていることにならないからです。葛藤していたけれども最後は正しい道に戻ってきたという結論は、親からすれば、最も喜ぶ結論です。団体もそのような親のあり方を褒めそやすかもしれません。

このように、親と同じ専門職を志した場合は、親と同じ枠組みの中で、意識して親と違う価値観を作り続ける必要が出てくるのです。

親と同じ専門職になった人には可能性がないとは思いません。葛藤は大きくなる可能性がありますが、そのからくりを理解しておけば意味のある生き方ができます。

どのようなことがクリアされればよいのでしょうか。

1 団体に巻き込まれないで自立的に生きる
違う価値観を生きようとすると教義が問題になります。その場合、必ずしも教義を捨てる必要はありません。同じ枠組みにとどまりながら、自分の神学的スタンスを作って行きます。
宗教は単一の価値観を求めます。そのような環境の中で、摩擦を経験することになる可能性は大です。抵抗勢力に阻まれるかもしれません。それでも自分軸を捨ててはいけません。心理的に埋没しないで、距離を取ることができるかが大切です。場合によっては、物理的距離が必要になることもあります。

2 親と違う価値観で生きる
これは必須です。これがなければ自立できていることになりません。
 先に述べたとおり、親と子どもが同じ宗教的枠組みの中で生きているケース、特に専門職になった場合、このあたりはかなり複雑になりますが、自分の生き方ややり方は親と違うことが明確に意識されていることは必須です。

自立見極めのヒント

心理学的な角度からいくつかの問題点を挙げました。本人が意味のある人生をいきいきと生きることができれば、他の人が何かを言う話しではありません。しかし、親と同じ専門職の道に進んだ人は、ここでお話ししたリスクがある以上、自分の人生を本当に自分の足で歩いているかを振り返ってみてほしいのです。

心理学的な指標に自分を晒すことに不安を感じるのであれば、それこそ勇気を出して、発達の視点から自分を見つめ直してほしいのです。この問題をクリアできる自信があるならば、大丈夫だということを確認する意味でも、怖がらずにやってみてほしいのです。やってみて損はありません。自分の人生を自分の足で歩く幸せを確かなものにするためです。

まとめとして、自立について再考が望まれるケースを挙げます。かなり微妙な問題なので参考までにお読みください。

◆子が親と同じ宗教を選んだケース
1 教えられた宗教実践を励行していると自ら言う
2 小さい頃は教会が嫌だったけれども、神さまを知ることができて感謝していると言う
3 子どもの頃は親の信仰だったけれども、大人になって自分と神さまとの個人的な信仰になったと言う
4 親が喜びそうな言動をすると嬉しくなる

◆親が専門職で、宗教二世、教会二世が専門職を選んだケース
5 自分の親を理想的だと考えたり、モデルにしたりしてしまう
6 自分の親を尊敬していると言う
7 教派の教えを忠実に語り過ぎることでオリジナリティがない
8 講話などの語り方が親の語り口調と似ていると言われる

これらは、自立について再吟味が望まれる項目でありながら、キリスト教界で問題になることはありません。周囲も本人も問題があるとは思っていません。逆に、団体の中で肯定的な評価がされることばかりです。ですからややこしいのです。

1は、第二章のパターン1の従順なよい子を演じている可能性があります。
1から3は、子どもを同じ宗教にしたいと願っている親が一番喜ぶ言い方です。「あいつも自立できた。親の信仰からカミとの個人的な信仰になった」と。しかし、子どもから見れば、その価値観こそ、親の価値観のど真ん中です。

5と6は、かなりの確率で自立できていない可能性があります。社会でも違和感を抱かれます。宗教の枠の中で生き延びても、人との関係作りで問題が発生します。
 5と6の問題は、しばしば婚姻関係で表面化します。配偶者が苦しむことになります。「父と母を離れて」という聖書の基本概念に合いません。聖書が教えているのは、尊敬する対象は親ではなく、人生で出会ったパートナーであるべきだということです。

7と8はかなり微妙ですが、自立できていない可能性があります。7は団体の教義から、8は親から自立できていません。
団体の教義から自立すると、教義を自分なりに咀嚼し、自分オリジナルなものが出てきます。講話はそのプロセスから滲み出てくるもので、人格的な結晶です。

以上の項目は、全員に当てはまるわけではありません。自分はクリアできていると考えている方も、自立の解像度を上げるためのヒントにしてください。

続く

河村従彦

臨床心理士/牧師
カワムラカウンセリングルーム運営
KCPSコンソーシアム(牧会・心理職研修会)主宰
牧師人材育成、大学非常勤講師、ボランティアカウンセラー養成、出版、児童発達支援、職員コンサルにも従事、企業の総務にも関わる
東京、神奈川、静岡で教会を牧会
臨床心理学とキリスト教の両方に関わる領域に関心
「神イメージ理論」はライフワーク 博士(人間科学)
若い頃のアイデンティティ崩壊、人生後半にメンタルバランスを崩した経験から、人のお役に立ちたいと願って臨床を続けている

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