宗教二世、教会二世 親は決して自分を責めないでください 本当の解決に向けて

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ここまで読んでいただいて、心配になる読者の方がおられるでしょうか。自分の子育ては大丈夫だっただろうか。今、子育て進行形の方も心配になるかもしれません。本当にこのままで大丈夫なのだろうか。

まず、ここまで読んでくださったことに心から感謝し、耳の痛い話しを聴いてくださったことに敬意を表します。親の立場で読むのはしんどい作業だったのではないかと拝察いたします。

最初にお願いがあります。自分を責めないと約束していただいたいのです。今までどれだけ頑張ってこられたか。ご苦労も多かったと思います。この段階でご自分を否定しても、そこからは何も生み出されません。それで子どもがどうかなるわけでもありません。

ここまで育てて来たのになぜこういう話しになるのかと、怒りをお感じになることもあるでしょう。その怒りは尊いものです。その感情も大切にしてください。

その上で、とりあえず一つ確認していただきたいのは、親子関係が「圧倒的アンフェアの力関係」であることです。ご自分と今までの子育てを否定しなくても、このことを理解するだけで、親子関係のほとんどは解決に向かいます。

ご自分にねぎらいのことばをかけながら、もう少しお付き合いいただければ幸いです。

子育てをしている方への提案

子育てをするときに何に気をつけなければならないかについて、簡単にまとめておきます。

1 ここまで頑張ってきた自分に「いいね」をあげる
とにかくこれをしてください。いろいろ迷うこともあったと思います。同じ宗教を持ってほしいという願いも尊いものだったはずです。ここで自分を否定しても何もよいことはありません。

2 自分の親との関係の見直し
次に、自分の親との関係を見直すことをお勧めします。親との関係が未処理のままだと、自分の不満足感や寂しさを子どもに満たしてもらおうとします。親子関係でギクシャクしたら、子どもとの関係で格闘してしまわずに、まず自分の親との関係を見直します。それで解決してしまうこともあります。自分の親との関係の見直しは、これから挙げる具体的な項目に取り組む前提になります。

3 安全基地の提供
愛着を形成できると、人間は安心して母親との距離を取ることができるようになり、冒険を始めます。不安になったら戻って来て、安心した関係に戻ろうとします。これが安全基地です。親が子どもの安全基地になれているかを考えてみることは、解決へのステップになります。幼少期に安全基地になれれば理想的ですが、学齢期を迎えても遅いことはありません。

4 宗教実践よりも心の交流
宗教行事を実践していることに思いが向きがちですが、それよりも大切なことがあります。心の交流があるかです。子どもから見れば、自分の親が、自分が宗教行事を行っているかで自分を判断すると感じます。宗教行事の是非で判断された子どもは、自分は受け入れてもらっていないと感じ取ります。子どもは、宗教行事に参加しているか、していないかにかかわりなく、そのまま受け入れてほしいのです。さらに言えば、親がイメージするように宗教行事に参加できないときこそ、自分の存在をそのまま受け止めてほしいのです。

5 心の叫びに聴く
子どもが一番望んでいることは、親や大人が自分の本音を聴いてくれることです。宗教二世、教会二世の苦悩は、心の叫びをどこにも持って行けないことにあります。年齢に応じて感じていることは変わります。聴き方は工夫と注意が必要です。

6 信頼倍返し
子どもは思春期を迎えると、心理的に親との距離を取るようになります。いわゆる反抗期で、自立のためにこのプロセスは欠かせません。反抗しているのは、親を信頼しているからです。人間は信頼できない対象に対して反抗することはできません。反抗は抑えてはいけません。大切なことは、「上手に反抗してもらうこと」です。上手に反抗してもらうためには、次の二つの配慮が必要です

1 反社会的など社会の枠から出てしなわないこと
2 自傷行為など自分を傷つけてしまわないこと

この二つに関心を寄せながら、温かく見守ります。温かく見守るのは簡単ではありません。親は反抗されると悲しく感じるのが普通です。しかし、子どもはもっと葛藤しています。そのような時こそ信頼で倍返しします。自分の思いどおりでなくても、信頼し続けます。子どもは、自分のことを受け入れてくれていることを感じ取るはずです。反抗したのに信頼してくれたことで、親を信頼するようになります。

7 子育ては個育て
子育ては、親が子どもを自分のイメージ通りに育てることではありません。この問題は、宗教が絡むと微妙になります。信仰をもってほしいという願いは親のイメージであり、子どもの本音ではないからです。本音ではないというのは、子育ては、その子の個を育むことです。その子らしさの発現がゴールです。その子らしい発現ができることこそキリスト教の精神に合致することであり、信仰的であると言えます。

8 子育ては己育て
子育ては、子どもを育てることではありません。子育ては己を育てること、自分育てです。子どもは自分の足りないところを教えてくれます。子どもに向きあうと、それと連動するように自分に向きあうことができます。子どもは、自分が成長できるチャンスをくれます。ありがたいことです。

9 選択権は子にある
子どものことは子どもが自分で選択しなければなりません。これは簡単ではありません。見守ることのほうが、よほど力が要ります。親は、自分の考えを押しつけたことはないし、何かを言ったこともないとお考えでしょうか。それが親の側の思い違いであることもあるのです。無言こそプレッシャーなのです。子どもが何かを選択するとき、自分の意志で選べなかったという感覚が残ると、それはあとあと尾を引くことになります。自分の思想信条を決める場合も、何のプレッシャーもない中で、自分で選ぶ必要があります。「自分で決めていい」ということをことばで伝えることが必要になる場合もあります。

いくつかのことを述べました。1は、これらの項目の土台です。これなしに始まりません。そのうえで、最も大切なのは2です。2をやろうという気持ちがあるだけで、親子の問題は半分解決です。
続いて、具体的項目の中で大切なのは、3の「安全基地になる」ことです。子どもはいくつになっても、安全基地が必要です。年齢が進んでも遅いことはありません。

親の健康度チェックリスト

親の側が何に配慮しなければならないかを述べてきました。この章をしめくくるにあたり、自己チェックのヒントを挙げておきます。

1 子どもと張り合っていないだろうか、ライバル心を持っていないだろうか
2 子どもが自分を越えて行くことを喜べるだろうか
3 子どもが自分のイメージと違うイメージになってもそれを認めるだろうか
4 子どもが自分と違う価値観で生きることを受け入れているだろうか
5 子どもに自分が属する団体の戦力になってほしいと思っていないだろうか

1は、子どもが自分を越えていったら、子育ては成功したということです。本当にここまで頑張られました。子どもが自分を越えて行くことは喜びのはずです。

5は見落とされがちです。次の世代に宗教心を伝えたいと願うことは間違いではありません。その願いは、宗教的に見て正しいことなので、問題にされません。むしろ賞賛されるはずです。それにもかかわらず、あなたの子どもさんは、そのことで傷ついたかもしれません。

親でありながら、あなたもかつては子だったはずです。寂しかったでしょうか。その寂しさはだれにも言えなかったですよね。ご自分を否定するのはやめてください。責めるのをやめてください。何も生み出しません。

引っかかる項目がある方は、自分の親との関係を静かに振り返ってみませんか。それで解決してしまう場合もあります。

続く

河村従彦

臨床心理士/牧師
カワムラカウンセリングルーム運営
KCPSコンソーシアム(牧会・心理職研修会)主宰
牧師人材育成、大学非常勤講師、ボランティアカウンセラー養成、出版、児童発達支援、職員コンサルにも従事、企業の総務にも関わる
東京、神奈川、静岡で教会を牧会
臨床心理学とキリスト教の両方に関わる領域に関心
「神イメージ理論」はライフワーク 博士(人間科学)
若い頃のアイデンティティ崩壊、人生後半にメンタルバランスを崩した経験から、人のお役に立ちたいと願って臨床を続けている

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