ここまで、宗教的コンテクストで生じる問題について述べてきました。親子関係に可能性と希望はあるでしょうか。
親子関係を理解するために欠かせないポイントを提示します。本質的に大切でありながら、ほとんど顧みられることはありませんでした。この点が理解されると、親子の問題は自然に解消してしまうくらい大切なポイントです。
親子関係とは、ひと言で言えば、
圧倒的アンフェアの力関係
だということです。
親は子どもを生むことを選択できます。しかし、どのような子が生まれるかを選択できません。他方、子どもは、生まれて来ることも親として誰を選ぶかも選択できません。気づいたら生まれていて、だれが親かも決まっています。子どもは自分が生まれることを親に頼んだこともなければ、生むかについて契約を交わしたこともありません。

親子を理解するためには、この「圧倒的アンフェアの力関係」を理解することがスタートです。
子育ては、このアンフェア度を解消する作業です。このことが理解されていない子育ては、いずれどこかで行き詰まります。
「圧倒的アンフェアの力関係」を解消するための方法は一つしかありません。親の側が子どもを無条件に受容することです。親が子どもを無条件に受容できたとき、初めて親と子の関係はイーブンになります。
イーブンになるまでに二十年、あるいはそれ以上の年月がかかります。これは高度な知性と人間性がなければできないことです。だからこそ尊い作業だと言えます。
子どもは、「圧倒的アンフェアの力関係」が解消しつつあると感じると、安心して自立して行くことができます。上手に「圧倒的アンフェアの力関係」を解消できた親については、子どもは自分が育ててもらったことに感謝するようになる可能性が出てきます。
不健康な宗教は、親子関係をイーブンに戻すことにブレーキをかける作用をします。親は宗教が絶対だと思っているので、子どもがどう感じるかよりも、宗教的規範に従うかで子どもを評価します。
このようにして、親の力は優位を保ったまま、子どもの感覚は抹殺されます。発達性トラウマはこの力関係が土台にあります。
続く

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