負の遺産は連鎖するという言い方がされます。内部者の証言のところで、筆者の体験をある程度開示しました。父方も母方も、いろいろな意味で負のものを引き受けたことは否定できません。どこにでもある普通のことです。両親にも心の傷があったことは十分想像できます。
残念なのは、宗教がそのような構図を温かく包み、不健康な親子関係をある程度健康的なものに修正できなかったことです。信じていただけに、裏切られた感覚は今もあります。
心理学を学びながら、心の中で堅く誓いました。
「連鎖は自分の代で止める」
自分のことは自分の中で消化し、決して次の世代に伝えないようにしようと決めました。長い孤独な戦いでした。
心に誓ったにもかかわらず、心の傷が子どもや妻との接し方に暗い影を落としたことは否めません。この意味で、この文章は反省論でもあります。
中間的な人の葛藤
なぜ自分はサバイブできたのかを考えました。心の傷やパーソナリティの傾向性を抱えながら、荒海を泳ぎ切ろうと考えることができたのはなぜか。正直、サバイブできているかもわかりませんが、そう考えました。
安冨らによれば、「本当の自分」を「自分の中の他人」にしてしまっていても、多少なりとも親の愛情を受けた経験があれば、自分本来の感覚が完全に奪われてしまうことはないということです。このような人たちを「中間的な人」という言い方で表現しています。
中間的な人は、振り切ってしまえない分、重く垂れ込めた生きづらさに苦しみ、激しい葛藤に苦悩する長い期間を引き受けることになります。
それでは、なぜ垂れ込めた生きづらさに苦しみながら、中間的な人であり続けたのか。自分で自分をケアしながら問い続けました。
続く


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