宗教二世の心理をわかってほしい その1 発達性トラウマと複雑性PTSD

宗教二世

宗教二世ということばが一般社会で広く知られるようになったのは、総理を経験した方が暗殺された事件がきっかけでした。

マスコミは宗教二世問題をセンセーショナルに取り上げ、地上波のテレビでもドキュメンタリー番組を放映しました。

宗教二世について知られるようになったものの、その実態はあまり理解されていません。

 

証言の内容

宗教二世の証言は、何が問題だったのでしょうか。

簡単にまとめると、以下のようになります。

1 自分らしく生きることが許されなかった。

2 親の権威の背後に宗教があったため、親の権威に逆らうといった発想もなかった。

3 自分の人生は奪われた。奪われた人生を返してほしい。

 

生き直しがしにくいメカニズム

それなら、もう一度自分の人生を生き直し、自分の人生を取り戻せばよいのではないかと感じるかもしれません。しかし、それが簡単にできない理由があります。

たとえば、こういったことです。

1 宗教の中にとっぷり浸かって生きてきたので、少年期・青年期に経験すべきことを体験できなかった。今さら普通の生き方に戻って行けばいいと言われても、実際にどうしてよいかわからない。

二十歳前後までサブカル(注・民族やコミュニティなど、一つのカルチャーの中にもう一つの小さなカルチャーを作る現象)の中でしか生きることが許されなかったため、資格も取得していないし、今さら人にアピールできる長所もない。パートで生きて行く以外にないという証言もあります。

2 長いこと心理的にコントロールされてきたため、自分の正直な気持ちがわからない。好きにしていいと言われても、どうしたらよいかわからず、途方に暮れてしまう。

 

PTSDとトラウマ

実は、宗教二世の生きづらさの根っこには、発達性トラウマの問題があります。

一般的にトラウマというと、戦争やレイプなど、衝撃的な体験をきっかけに負うことになる症状です。ベトナム戦争に従軍した兵士たちがPTSD(Post Traumatic Stress Disorder、心的外傷後ストレス障害)を発症することから、広く知られるようになりました。

PTSDは、いのちの危険を感じる場面に直面するなど、衝撃的な体験がきっかけになります。記憶が自分の意志とは関係なくフラッシュバックすることもあります。不安や緊張が高まり、現実感が喪失することもあります。こういった症状が一ヶ月以上続くと、PTSDという診断がくだされます。精神医学、心理臨床の分野でさまざまな研究がなされ、脳内に変化が生じることもわかってきています。

トラウマ治療を射程に入れた心理療法も開発され、専門的に取り組んでいるセラピストもいます。

たとえば、EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing、眼球運動による脱感作と再処理法)は、PTSD治療に対して有効だというエビデンスがあります。ブレインスポッティングという治療法も開発され、日本のトラウマ治療でも試みられるようになってきています。

 

発達性トラウマ

皇族のお一人の方が適応障害とされていたのが、複雑性PTSDではないかという見解が出されました。そのことをきっかけに、精神医療の専門家たちの間で議論が巻き起こりました。そのこともあって、発達性トラウマ(Developmental Trauma)や複雑性PTSD(Complex PTSD)という概念が注目されるようになりました。発達性トラウマは、発達のプロセスで負ったトラウマのことで、複雑性PTSDの原因になっていると考えられています。

複雑性PTSDは、それほど衝撃的でない体験であっても、繰り返し強いストレスに晒され続けることで心身に不調をきたすものです。一見ごくごく普通の家族に見えながら、家庭内で不適切養育を受けてきた子どもたちが発達性トラウマを負うことがあります。それが複雑性PTSDの原因になり、生きづらさを訴えることになります。

トラウマ研究はそれほどスピーディーに進んだわけではありません。多くの人が生きづらさを訴え、その生きづらさを説明するために、さまざまな概念が使われてきました。たとえば、一時期流行った「アダルト・チルドレン」という概念は、米国の大統領を務めた方がカミング・アウトしたことで注目されるようになりました。

その他、パーソナリティ障害、HSPなども、生きづらさを説明する概念として使われました。

発達障害の現場では、脳機能の特性に起因していないにもかかわらず、生きづらさを訴えたことで発達障害という烙印を押されたケースも少なからずありました。

宗教環境で人格形成をした人たちの中には、生きづらさを感じている人が少なくありません。しかし、その生きづらさは隠蔽されてきました。訴えることも許されませんでした。

 

複雑性PTSD

複雑性PTSDとはどういう症状を呈するものなのでしょうか。

PTSDの三症状(再体験、回避、驚異の感覚)に、感情調整の障害、否定的な自己概念(無価値感)、対人関係の障害の三つの症状が見られる場合、複雑性PTSDという診断がくだされます。

付 その他のストレス障害

似た症状として、急性ストレス障害(ASD)があります。PTSDと同じ症状が現れますが、一ヶ月以内に改善します。一ヶ月以上続く場合、PTSDと診断されます。

適応障害は、不安、抑うつ、焦燥感、混乱、倦怠感、頭痛、肩こり、多汗、めまい、社会活動への影響などの不調が見られ、そのストレス因がある程度特定できる場合に診断がくだります。

 

教会二世の発達性トラウマの複雑さ

クリスチャンホームや教会で育った方々は宗教二世です。その上で、もう少し解像度を上げるために、教会に関係していたということで「教会二世」と呼ぶことにします。

教会二世の方々が証言していることは、宗教二世の方々の証言と酷似しています。

カウンセリングルームにはいろいろな方が来談されます。

そこで語られることは、宗教二世だけでなく、教会二世が、親の養育に苦しんだ現実、今も宗教や親の考え方に苦しんでいる現実、さらに、宗教団体とその専門職からハラスメントを受け、深く傷ついたという現実です。

ところで、トラウマやPTSDは、その分野の専門家たちが検討を重ね、さまざまなセラピーが提案されてきました。教会二世もそれで十分なはずです。

しかし、臨床心理士・牧師として人と接するうちに、教会二世の場合、問題はさらに複雑なのではないかと感じるようになりました。

宗教に基づく教育は、健康的に行われれば、人間の発達と成熟に寄与する可能性があります。そのことは認めた上で、宗教環境が発達性トラウマを生み出す土壌になる場合があります。

それは必ずしも、「おかしな宗教」である必要はありません。社会的認知がされている伝統宗教でも、発達性トラウマになります。背景に宗教があること自体が問題なのではありません。それが不健康になって、病理を生む線があるのではないかということです。

宗教二世の問題と教会二世の問題はどこが違うのでしょうか。

簡単に言うと、宗教二世の場合は、高額の寄付金を要求したり、物品の購入を求めたり、社会でもその宗教実践に問題があるとされることが少なからずあります。

他方、教会二世の場合は、親や自分が関わっている宗教が社会的に問題視されているわけではありません。皮肉なことに、それが教会二世の生きづらさになるのです。

 

社会的批判を浴びない苦悩

生きづらさの原因を探っている宗教二世が、自分が信じていた団体には問題があるという結論に至ったとします。そのとき、社会も問題があると言ってくれれば、その団体を怒りのターゲットにできます。やめればいいという決断をすることについても、それほどハードルは高くありません。

ところが、日本語に「敬虔なキリスト者」という用語があるように、伝統宗教は社会的バッシングを受けません。それでありながら、その環境で人格形成をした人たちが、生きづらさを告白します。

生きづらさを感じている教会二世は、その宗教が、信心の表れとして高額な物品の購入を迫るようなことをしなくても、心理的に同じことが行われていることを肌身で知っています。

さらに苦しいのは、それをだれにも言えないことです。なぜなら相手は、社会的に認知されている「敬虔な宗教」だからです。

ところで、今では伝統的宗教と見られている宗教も、最初は「アブナイ」宗教だという見方をされていました。ユダヤ教は新興宗教であるキリスト教を異端視し、排斥しようとしました。ところが、キリスト教はユダヤ教がこだわったような文化的規律に必ずしもこだわらなかったことで、地中海世界で幅広く受け入れられるようになり、世界大の宗教に発展しました。

この現実を認識している人は、キリスト教の中にはそれほどいません。勝てば官軍のように、自分たちだけが正統だと考えているようなところがあります。

教会二世の中には、自分の宗教団体が新興宗教を攻撃しているのを見ながら人格形成をした人もいます。こういったスタンスが、多感な時期を過ごす教会二世のパーソナリティに負の影響を与え、ひいては人格性に攻撃性を埋め込む可能性は否定できません。

 

まとめ

教会二世が引き受ける発達性トラウマと複雑性PTSDについて概略をお話ししました。宗教二世でありながら、さらに特殊なものを抱え込んでいるのが教会二世です。

 

――続く

 

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