キリスト教 教会 クリスチャン 「宗教二世」の心理をわかってほしい その2 アンフェアな関係とトラウマの正体

宗教二世

アンフェアの力関係

どういうメカニズムで親は子どもを支配するようになるのでしょうか。そのことを考える前提として、親子とはどのような関係なのかを確認します。

親子関係は、ひと言で言えば、圧倒的アンフェアの力関係です。

親は子どもを生むことを選択できます。しかし、どのような子が生まれるかを選択することはできません。

他方子どもは、生まれて来ることも親として誰を選ぶかも選択できません。気づいたら生まれていて、だれが親かも決まっています。子どもは自分が生まれることを親に頼んだこともなければ、生むかについて契約を交わしたこともないのです。

親子を理解するためには、親子関係が圧倒的アンフェアの関係であることを理解することが前提となります。

子育ては、このアンフェアの関係を解消することです。このことが理解されていない子育ては、どこかで行き詰まることになります。

アンフェアの関係を解消するためには、親の側が子どもを無条件に受容する必要があります。親が子どもを無条件に受容できたとき、初めて親と子の関係はイーブンになります。

子どもは、親が自分を無条件に受け入れてくれると、アンフェアの関係が解消できたと感じることができます。そして、安心して自立して行くことができるようになります。

 

不適切養育、力関係の残存

不適切養育には、必ずしも虐待は必要ありません。一見、普通の親が普通の接し方をします。しかし、親子の関係をイーブンに戻すことができなかったら、それは不適切養育です。

関係をイーブンに戻せなかったときには、さまざまな弊害が出ます。親子の間に力関係が残るため、子どもは葛藤をなかったことにして親のレールの上を走り続けるか、心理的葛藤を抱き込んで生きるか以外になくなります。

不健康な宗教は、親子関係をイーブンに戻すことにブレーキをかける作用をします。親は宗教が絶対だと思っているので、子どもがどう感じるかよりも、宗教的規範に従うかで子どもを評価します。このようにして、親の力は優位のまま、子どもの感覚は抹殺されます。

発達性トラウマは、この力関係の残存が土台にあります。これが、宗教二世の苦悩になります。

 

トラウマの本質と宗教

問題の底流にあるトラウマの本質を見ておきます。

トラウマを負うと、脳の失調が起こることがわかってきています。フラッシュバックや過覚醒も起きます。しかし、トラウマの心理的本質は、自己の喪失です。主体が奪われてしまう「自分のなさ」です。自分が自分のものであるという感覚がなくなり、自分が何を感じているかもわからなくなります。これが生きづらさの正体です。

宗教は、一つボタンをかけ損ねると、自己の喪失を促進する役割を担います。自分の人生を生きることは否定され、宗教的絶対者、あるいは「カミ」に従うことが優先されます。

このような強制力は、人格形成が一段落した後であれば影響を最小限に抑えることができますが、多感な人格形成期に自分の人生を生きることを否定され、「カミ」に従うことが強要されれば、自己が失われてしまうことは十分ありうることです。

カウンセリングで「本当のところ、どうしたいですか」と尋ねると、「正直な気持ちがわからない」というお返事が返ってくることは少なくありません。

 

子どもの自己を喪失させるプロセス

どういうメカニズムで、親は子どもの自己を喪失させてしまうのでしょうか。

たとえば、親が子どもにうんざりした気持ちを感じながら、子どものためを思ってという言い方で何かを命令したとします。

一見、何の問題もないように見えますが、心理的には危険を含んでいます。子どもにうんざりしている気持ちと、子どものためを思っている気持ちが同居しているからです。子どものためを思っているという「真綿」に、子どもにうんざりして子どもを拒否している「針」が仕込まれている状態です。いわゆる二重拘束です。

子どもが「針」があることを認識できれば、親は自分を愛していないし、自分を騙そうとしていることに気づきます。しかしこの考えは、子どもからすれば恐ろしいことです。それで子どもは、親の偽りを受け入れ、痛みを感じない振りをしてその真綿を無害だと思い込むように自分を誘導します。

逆に、親は自分を愛しているという結論に自分を導くと、自分の感情を欺くことになります。自己は抹殺させられます。

このようにして、親の欺瞞に加担した子どもは、生き延びるために自分の正直な気持ちを偽るように誘導されます。その結果、状況を感じ取るセンサーは破壊されます。センサーを破壊された子どもは、どんよりとした、鬱っぽい生き方をするようになります。生きにくさです。

宗教が絡むと、このプロセスは正当化されます。親が苛立ちを子どもにぶつけ、子どもが自分のセンサーを壊しても、宗教の規範に照らして間違っているのは子どもだと決めつけることができます。

親が、自分が子どもを受け入れていない苛立ちがあることに気づき、罪責感を感じても、宗教がよしとしてくれれば、その罪責感を静めることができます。親にとって、宗教はありがたい、十分メリットがあるものになります。しかし子どもから見れば、自分を破壊するだけのものになります。

――続く

以上のことを踏まえて、(1)カウンセリングを進めて行く基本的な考え方、(2)宗教サイドがこの問題を正しく受け止めるために必要なこと、(3)宗教二世が自分を認識することで生きる希望があること、以上3点についてお話しして行きます。

 

河村従彦

臨床心理士/牧師
カワムラカウンセリングルーム(オンライン)を運営
臨床心理学とキリスト教の両方に関わる領域に関心
東京、神奈川、静岡で教会を牧会
牧師人材育成、大学非常勤講師、出版、児童発達支援、職員コンサルにも従事
研究の過程で出会った「神イメージ理論」はライフワーク
博士(人間科学)

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