キリスト教 教会 クリスチャン 「宗教二世」の心理をわかってほしい その3 カウンセリングの方向、自分を取り戻すプロセス

宗教二世

宗教二世、特に、社会的に認知されているキリスト教会の中で育った教会二世がどういう心理なのかについて説明しました。

続いて、(1)カウンセリングを進めて行く基本的な考え方、(2)宗教サイドがこの問題を正しく受け止めるために必要なこと、(3)宗教二世が自分を認識することで生きる希望があること。

以上3点について、お話しします。

 

カウンセリングの基本的方向性

クライエント様はみなオリジナルな存在であり、経験されたこともオリジナルです。ですから、コレが公式みたいなものはないのですが、ザクッと方向性はあります。

(1)人としての尊厳が踏みにじられた体験をしているということ

(2)尊厳が踏みにじられたという認識がないままに長い時間を過ごしてきたこと

こういったことが心理的背景にあります。

「宗教二世」というと、おかしな宗教から救出するというイメージがあるかもしれませんが、「教会二世」の場合は必ずしもそれに当てはまりません。なぜなら、その宗教が、社会的に認知されているからです。

しかし、心理的な角度から考えると、内部で起きていたことは、社会的に問題があるとされる宗教と大差ありません。

そういった環境で人格形成をした場合、ある割合で、発達性トラウマ、複雑性PTSDを引き受けることになります。

セッションでは、トラウマ臨床も視野に入れながらお話しを聴いて行きます。

ゴールは「自分と自分の人生についての主体性を取り戻すこと」です。一般的に、いくつかのプロセスをたどります。

(1)感じることが許されなかった、自分の考えを表出することが許されなかった、自分で判断することが許されなかった。まずこのことを認めます。「カミ」の思し召しがあると信じてきたため、天罰を受けるのではないかという恐怖心も出てきます。なかなか受け入れられないのですが、最初の一歩になります。

(2)何をしたいのかを探って行きます。「今、何をしたいですか」とお尋ねすると、「……」、しばらくの沈黙のあと、「わかりません」とお答えになる方が少なくありません。わからないときには、とりあえず保留します。

(3)感情を肯定して行きます。宗教に関わっていると、肯定感情は肯定できても、否定感情を認めていないケースが少なくありません。怒りを感じることは意味のあることです。怒っていいと、正直な気持ちをサポートして行きます。

(4)セッションを重ねる中で、虐待を受けた経験にフォーカスすることがあります。明らかに虐待だったと感じている方もありますが、多くの場合、自分がされてきたことが虐待だったと認めるのは簡単ではありません。宗教は全部良いことだと思っているからです。虐待だと認めることができたら、少しずつ、慎重に、その体験に向き合います。

(5)団体や原家族、多くの場合親について、客観的評価をします。子育てが間違っていたら、間違っていたとラベルを貼ります。親に負のラベルを貼るのはかなりハードルが高い作業です。宗教は親を敬うことを是としているからです。

(6)団体や原家族について、間違った認知があれば、修正します。負のラベルを貼ることで逆に見えてくる肯定的な面もあります。それに気づいたら、その気持ちをサポートして行きます。

(7)宗教は神学や教義を中心に据えているため、その教義が、人間の心理や人格形成にどのような影響を与えてきたかを考えて行きます。教義の受け止め方の修正が必要な場合もあります。

(8)これらのプロセスと並行して、ときどき感情に焦点を当てます。少しずつ感情が動き始めたら、負のラベルを貼ったものについてどういう気持ちかを確認して行きます。激しい怒りが表出される場合もあります。

(9)自分の人生を自分の足で歩き始めます。そのことで、主体意識を感じることができるようにサポートして行きます。本当のところ何がしたいのかを探って行きます。

感情機能が戻って来て、団体や親をある程度客観的に見ることができるようになれば、一段落といった感じです。

このプロセスを順番にたどるわけではありません。途中で止まることもあります。

劇的な変化を求めるのは間違いです。長い時間の中で身に付けた思考や感情ですから、クライエント様が安心して一歩一歩進んで行けることが大切です。ゆっくりでかまいません。

 

宗教サイドの受け止め

既成宗教が、その中で人格形成をした人の発達性トラウマや複雑性PTSDの原因になることは、まだ認知されていません。

お布施を強要してるでもなし、信徒には律儀な生き方を勧め、そこそこ幸せそうに見える。だとしたら、自宗教に問題があるという発想を抱く可能性は限りなく低いといえます。実際、宗教団体が自浄作用を働かせるケースはほぼないと言っても過言ではありません。

その上で、臨床心理士・牧師の両方を職としている立場から、どういったことがポイントになるのかを挙げておきます。その前提として、これも一般的なことですが、不健康な宗教の特徴をまとめます。

1 人の尊厳が大切にされない。そこから虐待やハラスメントが生まれる。

2 人のスピリチュアルなニーズに応えていない。

3 奉仕に縛られる。奉仕、献金など、やらないと罰せられると感じる。

4 成果に価値があるとされる。

5 不安でコントロールされてしまう。

6 ヒエラルキーが構成され、上下関係がハッキリする。

7 不自由になる。やらなければならない義務や戒律が増えて行く。

8 教義が絶対的とされ、感情を煽られることで、思考停止になる。

このあたりのことを上手に修正できれば希望がありますが、実際はなかなか難しいところです。

ひと言で言うと、「人の尊厳を尊重する感度」をどれだけ取り戻せるかです。そこに参加している人が、「自然体であることで責められない、素になれるか、ホッとするか」も大切です。

 

宗教二世、教会二世の希望

カウンセリングでは、自分の人生における主体性を取り戻し、自分の人生を自分の足で歩くためのお手伝いをします。自分の人生に関することは自分で決めていいということです。

このプロセスを経た後の生き方には2通りあります。

(1)同じ団体にとどまりながら、自分の主体性をしっかり持って生きて行く方もあります。教会二世、宗教二世のカウンセリングは、団体からの救出が最後のゴールだとは考えません。宗教の選択は個人の尊厳の問題であり、自分で決めることが大切です。

(2)社会的に間違っていないと認められている宗教団体でも、自分の人生を取り戻す大切な一歩として、団体を離れるケースもあります。自立への大きな一歩になります。

それまで支配されていた枠から離れると、一時的に寂寥感や鬱症状に襲われることがあります。おかしなことではなく、自然な反応であることを伝えながらサポートして行きます。

少し時間がかかりますが、自分の人生は自分の足で歩いているという実感を少しずつ持てるようになって行きます。

宗教は理想を提示します。それを受けた信徒は理想を内在化させます。しかし、このようなプロセスを経ることで理想が崩れるとき、希望を感じることができるようになります。

その後の人生で、経験した強さを表現できる人もいます。同じ境遇で悩んでいる人を支える仕事に就く方もあります。

 

終わりに

概要を述べてきました。

このプロセスは、自分でやりながら自分の人生を取り戻して行く人もいますし、カウンセリングのサポートを受けながら自分の人生を取り戻す方もあります。

自分では難しいとお感じの方は、カウンセリングを利用することも一案です。必要なときにカウンセリングを利用することは、病気になったら医療のサービスを受けるのと同様、21世紀の標準です。

 

――了

河村従彦

臨床心理士/牧師
カワムラカウンセリングルーム(オンライン)を運営
臨床心理学とキリスト教の両方に関わる領域に関心
東京、神奈川、静岡で教会を牧会
牧師人材育成、大学非常勤講師、出版、児童発達支援、職員コンサルにも従事
研究の過程で出会った「神イメージ理論」はライフワーク
博士(人間科学)

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