親が子どもに欺瞞的な働きかけをしたとします。そのとき子どもの中に、見せかけの「正常さ」を生み出す装置がインストールされます。そうすると、いつの間にか、その装置によって生み出された見せかけの「正常さ」が「自分」であると考えるようになります。いきいきと感じ、考え、判断していた「本当の自分」は、「自分の中の他人」として追いやられます。自己の喪失です。これがトラウマの実態です。
「本当の自分」を「自分の中の他人」にしてしまった子どもは、「親が自分を愛してくれないのは自分が悪いから。すべては自分のせいだ。親は良い人なのだから」と自分を納得させて生きるようになります。
親が「正常」を子どもに押しつける行為は、「しつけ」という言い方で正当化されます。子どもは「本当の自分」を生きることができなくなります。これが生きづらさの実態です。
宗教が背景にある場合について考えます。従順な人間に育てたいという意味での「正常」は、宗教の中では正しいものとされます。カミに従順な人間に育てたいという「正常」は、人間に対する従順さを植え付けるよりは崇高ですが、やはり子どもが「本当の自分」を生きることにブレーキをかけます。子どもは、自分の中に組み込まれた装置によって見せかけだけの「正常」な行為を生み出します。そしてそれが、「本当の自分」だと思い込むようになります。「本当の自分」が「自分の中の他人」として追いやられるプロセスは、このように宗教によって強化されます。
宗教があると、「正常」を使って「しつけ」をすることは簡単です。宗教を信じている親はどこまでも正しい側で、子どもは矯正されなければならない存在になります。子どもも「親は良い人なのだから」と自分を納得させることで生き延びます。全部がうまく収まります。見た目はまさに宗教的な家族です。子どもは、自己が喪失していることに気づいていません。
神学はここで一役買います。キリスト教では、人間は罪人であるという人間観を大切にします。子どもは罪人だという前提で「正常」を使った「しつけ」をすれば、親の欺瞞は正しいこととしてお墨付きを得ることになります。
続く

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