前回まで、宗教二世、教会二世の周辺で何が起きているのかを説明してきました。そのことをふまえて、背後にどのような問題が横たわっているのか、解決の可能性があるのかを探って行きます。
人格形成期に心の傷を負った子どもの中で、何が起きているのでしょうか。
トラウマと宗教 自己の喪失
深く心の傷を負うと、それはトラウマになります。トラウマを負うと、脳の機能が失調します。フラッシュバックや過覚醒も、自分の意志でコントロールできません。本人にとっては辛いことです。絶望感を味わいます。
トラウマの本質は、フラッシュバックや過覚醒ではありません。「自己の喪失」です。主体が失われてしまう拠り所のなさです。自分が自分のものであるという感覚がなくなり、自分が何を感じているかもわからなくなります。人間はそのとき、果てしない底抜け感、恐ろしい不安を味わいます。
この感覚は、発達性トラウマを負った人たちの中に見られます。生きづらさの原因はさまざまですが、その中で最もレベルが深いのが、自己の喪失です。
発達過程でトラウマを負うと、愛着形成がうまく行かなくなります。自我の形成のためには、療育者との間に安定した愛着が形成できることが重要ですが、愛着を形成できないため、自我が不安定なまま大人になります。自己イメージも不安定になり、対人関係が構築できなくなります。
不健康な宗教は、自己の喪失に拍車をかけます。自分の人生を生きることは否定され、宗教的絶対者、あるいはカミに従うことが優先されます。
この強制力は、人格形成が一段落したあとであればそれほど影響はありません。しかし、多感な人格形成期に自分の人生を生きる権利を取り上げられ、カミに従うことが強要されれば、自己が失われてしまう可能性は十分考えられます。
振り返ってみると、自分を主張してはいけない、正直な気持ちを感じてはいけない、感情を表出してはいけない、判断してはいけない、自分の考えを優先してはいけない、それが正しいことだと言われ続け、正直に感じているありのままの自分はどこかに行ってしまいました。「ごめんね」といってもう一度見つけ出してあげるまで、相当の時間がかかりました。その間の人生は、空白のページになりました。
宗教二世が自分の人生を返してほしいと訴える理由がここにあります。ただ時間のロスをしたことよりもさらに深い、自分を生きることを取り上げられた感覚なのです。
子どもの自己を喪失させるプロセス
どういうメカニズムで、親は子どもの自己を喪失させるのでしょうか。
不適切養育とは、親が十分に愛情を注ぐことができないことではありません。「圧倒的アンフェアの力関係」のところで述べたように、親子の関係をイーブンに戻すことができないことです。本人は愛情を注いでいると思っても、関係をイーブンに戻す前提がなければ、それは支配関係の継続に過ぎません。
親は子どもを虐待するわけではありません。普通の親が普通の接し方をします。それでも、親子の関係をイーブンに戻すことができなかったら、それは不適切養育です。
宗教はこれに拍車をかけます。宗教的敬虔さの中で育てても、親子の関係をイーブンに戻すことができなかったら同じです。
続く

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