宗教二世、教会二世の心理的メカニズムと、その背後にある宗教の作用について説明しました。
それでは、宗教は例外なく有害なのでしょうか。人格形成に寄与し、人間本来のスピリチュアルなニーズに応えることができる宗教は存在しうるのでしょうか。
誤解のないように付け加えます。宗教を否定しているのではありません。人のスピリチュアルなニーズに応える宗教は、今の時代も機能しますし、今の時代だからこそ必要です。
筆者は臨床心理士ですが、牧師でもあります。宗教を運営する側の一翼を担ってきました。宗教サイドに関わった内部者の証言として、勇気をもって問題点を挙げてみたいと思います。宗教を告発する意味ではありません。今の時代、本当の意味で人間のスピリチュアリティに応えることができる宗教のあり方を、自分自身が探って行くためです。
牧師である以上、ここで論じることは自分にも責任があります。宗教を運営してきた側としてご批判を受けなければならないと考えています。
この立ち位置を強く意識しながら、傷ついた方々のことを考え、内部変革を願ってきました。筆者は宗教学者ではないので、宗教学的な知見を提供できるわけではありません。臨床心理士・牧師として両方の世界を見て感じたことをまとめます。
宗教の不健康さ
最初に、不健康な宗教がどのようなものかを挙げてみます。
〈現象〉
1 ノルマがある。奉仕、布教、布施・献金などは、やらないと罰せられると感じる
2 成果に価値があるとされ、エンドレスの努力にはまり込む
3 教義は絶対的かつ正しいものとされ、教義の修正は行われない
4 やらなければならない義務や戒律が増えて行き、やればやるほど不自由になる
5 人の尊厳が大切にされず、宗教的虐待やハラスメントが発生する
〈結果〉
6 スピリチュアリティの深化にブレーキがかかり、人間のニーズに応えられない
〈内面性〉
7 感情を煽られ、宗教的理想に達しない罪責感で自分を責め、不安でコントロールされる
8 正常な思考が働かなくなり、「委ねる」などの用語で思考停止になる
9 ヒエラルキーが構成され、自分を上下関係のどこかに位置づける
10 思考停止とヒエラルキーへの自己の位置づけに快を感じ、それを宗教体験だと思う
11 快を感じ続けるために、自分をより上位に位置づける必要が生じる
12 精神性が抑制されてより本能的になり、戒律で自分を縛ることで自分を保つ
宗教が人間本来のニーズに応えるためには、これらの点に真剣に向き合う必要があります。
正しい自分
宗教は「正しい自分」にこだわります。「正しい自分」を問題視すると、宗教側からは、「人間は自分を律することなしに正しく生きることができるのか」という問いが出てきます。この意味で、宗教が、人間が間違いを犯す歯止めになってきたことは間違いありません。
キリスト教神学を大成させた第一人者であるパウロは、正しく生きるために、当時の伝統宗教であるユダヤ教にはまり込みました。しかし、書簡を見ると、自分が正しくあろうとすればするほど人に対して憐れみの心を感じなくなった、人に対して残虐になったと述懐しています。
パウロは、自分の生き方は間違いだったと結論づけることで、「本当の自分」を取り戻そうとしました。「本当の自分」を取り戻したパウロは、生涯かけて「正常」の危険を説き続けました。
続く

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