親に苦しんだケースでは、子どもの側に問題がないのがほとんどです。カウンセリングでときどき申しあげます。
「お話しを伺ってきましたが、あなたには一ミリも悪いところがありません」
このような返事が帰ってくることがあります。
「親を大切にできなかったので、自分も悪かったと思います」
さらに申しあげます。
「それはあなたの優しさです。でも、あなたがお母さまを大切にできなかったのは、事情があったからです。大変な環境の中で、はねつける以外に方法はなかったですよね。精いっぱいだったですよね」
このようなやりとりをしながら、少しずつ自分が悪かったのではないことを認めることができるようになります。そうすると、カウンセリングも一つの区切りを迎えます。罪責感のケアです。
さらに話しが進むと、母親の人生がテーマになります。
「お母さまの人生をリビューされたことはありますか」
そのようなことは、したことがないのが普通です。したことがない方には、リビューをお勧めすることがあります。
話しが進み、母親がカウンセリングを受けたほうがいいという話しになることがあります。母親にカウンセリングを受けてもらうのは簡単ではありません。カウンセリングを受けてほしいなど、口が裂けても言えないという反応もあります。
親の側が困っていて、カウンセリングを受けてくださるケースがありますが、極めてまれです。しかし、カウンセリングを受けてくれただけで、子どもの心の傷はいやされて行きます。
カウンセリングを受けてくれたからといって、問題が解決するわけではありません。親の側が自分に問題があったという受け止めをすることはとても難しいのが現実です。どのような人生であっても、人生を生きてきた事実は重いのです。
◆子どもの優しさの皮肉な作用
親に苦しんだ方々の声を聞いていると、いくつかのパターンが観察されます。
1 親には金輪際自分の人生に関わってほしくない
2 親の人生もいろいろあったから、親の辛さを認めれば仕方ない
3 親を赦すのがキリスト者の標準だから赦すことにする
4 いろいろあったけど親のことは否定できない
5 それでも親が好きだ
このようにいろいろな反応があります。基本、子どもは親に対して驚くほど優しいのです。かつては好きだった。そのイメージはどこかに残っていて、また好きになりたいのです。親の「いいよ」があれば、それで終わってしまうのです。終わらせたいのです。血は濃いと何度も感じてきました。
親に復讐したい、親を殺したいと思っているケースはほとんどお目にかかりません。たいていは、なんとか赦そうという方向に心理が働きます。宗教が背景にあって、ブレーキになっているのだろうと想像します。復讐や殺人まで行ってしまうケースは背後に一定数あって、そこまで深刻なレベルに行ってしまえば事件化します。行っていないからこそカウンセリングの場に持ち込まれるとも考えられます。
◆親の不全感を強化する子どもの間違った努力
子どもの優しさが問題の解決を送らせるケースがあります。問題解決の特効薬は、親が子どものありのままを受け入れることです。
子どもはカウンセリングに来たときには、親子関係を改善しようとすでに血みどろの努力を重ねています。真面目な人こそ親子関係を改善しようと努力しています。ところが子どもが親に配慮すると、子どもは自分の傷をますます深くするか、現実を突きつけられて親に愛されることを諦めるかのいずれかになります。逆に、マイナスに作用します。
子どもが親子関係をなんとかしようと頑張るとマイナスに作用する現象には、心理学的な理由があります。親は、子どもが親に配慮すればするほど、自分の不全感を満たすために子どもを利用してよいというメッセージを受け取ります。その結果、親の中にある不全感はさらに強くなります。子どもの善意が親の症状を悪化させるために作用するのです。皮肉な結果に終わります。
これは先述したハラスメント事案の対応と似ています。被害者救済の原則から、最初に申立人(被害側)の気持ちを聴きます。そのときに、両者からフェアに意見聴取をすべきではないかという反論が出ます。多くの場合、自分に加害の心配がある人がこのような言い方をします。このような考え方が出てくるのは、ハラスメントの基本的な知識と専門性が欠如しているからです。加害側と被害側に同時に聞き取りをしたら、被害側は、自分の声を真摯に受け取ってもらえなかったと感じます。二次被害になります。
子どもの優しさと努力は皮肉に作用します。子どもを支配する親は、子どもが親を切れないことをどこかで感じていて、結果的にその優しさを利用します。子どもの側の配慮が問題を解決することを遅らせるのです。子どもがどれだけ配慮しても解決することはないと言っても過言ではありません。
続く

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