自分が受けた子育ては、子どもの側に責任がないことを自分の中で明確にした
その当時の時代性があったとは言え、人間科学や発達心理学の観点から、自分が育てられた子育てには問題があったという結論を出しました。
「自分が間違っていたことがわかったらそれを認める」。これは、キリスト教の根幹にかかわる理論です。これをキリスト教専門用語で「悔い改め」といいます。自分が悪かったという言い方をしないこと自体ダメなのです。人の間違いを指摘することは御法度なのです。
親はこの理論を盾に、子どもに自分の非を認めることを求めます。いつも間違っているのは子どもという構図が出来上がります。
問題は、宗教というコンテクストに長いこといると、皮肉なことに親が自分の非を認めにくくなることです。子どもは、親が自分の非を認めないのを見て、親の欺瞞を見抜きます。
「親を敬いなさい」という言い方が富士山のようにそびえ立っているのがキリスト教です。反面、基本教典である聖書が「子どもを怒らせてはいけない」と語っていることは取り上げられません。教義では親の側だけに都合がよい理論が並んでいます。宗教は本来、自分を振り返ることができるツールを提供してくれるはずです。
この構図をひっくり返すのは簡単ではありません。さまざまな抵抗に遭います。それでも、原家族のありかたを客観視しながら、子育てについては親の側が間違っていたとレッテルを貼ってみる必要があります。
間違っていたという結論に至ったとき、それを直接親に伝えるかについてはいろいろな判断があります。きちんと親に伝えることで、ある程度、カタルシスを体験できるケースもありますし、伝える意味がないと判断すれば、そのままになるケースもあります。
自分がいちばん謝らなければならない対象は自分自身だということに気づいた
大切な気づきでした。ある書籍を読んでいるときに、自分で自分を痛めつけてきたことに気づきました。
長いこと、自分を抑えて生きればよいと思ってきました。自分を大切にできませんでした。自分を裏切ってきました。小さいことで罪責感に苛まれることがありました。自分で自分にダメージを負わせてきました。自分を粗末にしてきました。それが自分の人生でした。
一番謝らなければいけないのは、他のだれでもなく、自分で痛めつけてきた自分でした。
「ごめんね」と……。
ここまで自分が取り組んだこと、経験したことを20項目にまとめて提示しました。
これは一つのケースに過ぎません。人は、存在も、体験も、心の傷も、その深さも、それぞれオリジナルで、これをやればだれでも回復できるという意味ではありません。
それでも、ヒントにしていただけることがあれば、参考にしてください。
続く


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