毒親という言い方が知られるようになりました。親が子どもを愛することができず、子どもが親である自分を認めることを求めます。親にとって、子どもは自分の不全感を満たすツールになります。
親が抱え込んでいる不全感は、子どもから何かを得ることで満たされることはありません。子どもがどれだけ配慮を示しても親は満足しません。親の抱え込んでいる不全感は、自分の親から埋めてもらわなければならないはずのものです。それを子どもに肩代わりさせようとすると、子どもは苦しむことになります。
毒親のスタンスは宗教的な背景によって正当化されます。子どもを無条件で受け入れることができなくても、「カミのみこころである」、「信心のためにやった」、「あなたのためを思っている」など、言い訳をすることができます。その言い訳は、宗教的コンテクストでは、模範的に映ります。毒親によって、見た目はますます宗教的な家庭が出来上がるのです。これを、
宗教毒親
といいます。
このような環境下で育てられた子どもは、自分が愛された経験がないまま大人になります。そして、自分の家には何か問題があると感じながら、それを言えないので、どこまでも我慢します。
なぜ我慢するのでしょうか。宗教を背景にした環境には次のような価値観があるからです。
1 忍耐は美徳である
2 犠牲は信心深い証しである
3 親や団体など上位の者は大切にすべきである
4 我慢していればカミが働かれる
このような価値観があって、普通以上に我慢し、そしてある日突然発症します。
突然発症するので、周囲は驚きます。どうしていいかわからず、「きのうまでとてもよい子だったのに、どうしちゃったのかしら。クリスチャンなのに親に逆らうとは」と困惑します。
子どもの側はその受け止めに呆れ果て、心の中で言い返します。「自分は幼稚園の頃から苦しみ続けてきた。さんざん我慢してきた」と。親はそのことを知りません。うちの子は素直だ、くらいの受け止めしかしていません。
発症したときには、事態は相当深刻になっています。症状を挙げてみます。
1 恐怖心で自分をコントロールできない
2 親や団体関係者が近づいてくるだけで体がこわばるなどの症状が出る
3 倦怠感、睡眠障害、食欲不振などが出る
3 めまい、まっすぐ歩けない、過呼吸、しびれ、突発性難聴などの症状が出る
4 関係する人と会うと考えただけで恐怖心が湧き上がり、会えなくなる
5 発症した現場、あるいは似た場所にいられなくなる
6 団体の関係者や親など、自分をやった人やその場面の夢を見る
7 自分に問題があるのではないかと自分を責め続ける
5は、ほとんど理解されていません。虐待や屈辱体験、ハラスメントを受けた場所に行けなくなります。職場や施設で被害を受けた場合、出勤しようとしても、会社の社屋や敷地の前まで行くと足が前に出なくなります。親からやられた場合は、家にいるだけで恐怖心が暴走して止まらなくなり、家にいること自体を体が拒否します。
6は、いわゆる悪夢です。団体の風景や関係した人が夢に出てきて、うなされて目が覚めることがあります。悪夢を見るのが怖くて眠れなくなります。睡眠障害の原因になります。
7は、宗教が背景にあると顕著になります。宗教では、自分の非を認めることがよいこととされているからです。皮肉なことに、被害を受けた側が自分の非を認めたりします。宗教的コンテクストで、加害側が自分の非を認めることはほとんどありません。加害側は自分を見ることができないからこそ加害側になります。
続く


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