前にも述べたとおり、関西のある駅の前で起きた悲惨な事件をきっかけに、いわゆる宗教二世の生きづらさが広く知れ渡るようになりました。マスコミは、地上波でドキュメンタリー番組を放映しました。SNS上でも宗教二世の方々が自分の体験を証言し始めています。
宗教二世の証言は、どのようなことが問題なのでしょうか。簡単にまとめると次のようになります。
1 自分らしく生きることが許されなかった
2 親の権威の背後に宗教があったため、親の権威に逆らうといった発想もなかった
3 自分の人生は奪われた。奪われた人生を返してほしい
このような感覚は、筆者が見てきた限り、教会二世の方々の証言と重なります。
自分の人生を生き直すために、自分の手で自分の人生を取り戻せばよいのではないかと感じるかもしれません。しかしそれは、甘い考えです。それが簡単にできない事情があるのです。
たとえば、こういったことです。
1 宗教の中にとっぷり浸かって生きてきたので、少年期・青年期に経験すべきことを体験できなかった。今さら普通の生き方に戻ればいいと言われても、実際どうしてよいかわからない。
二十歳前後まで閉鎖的な枠の中でしか生きることが許されなかったため、社会のことが何もわからない。資格もなければアピールできる長所もない。パートで生きて行く以外にないという証言もあります。
2 長いこと心理的にコントロールされてきたため、自分の正直な気持ちがわからない。好きにしていいと言われても、その「好き」がわからない。感じることをやめて長い年月が経っているからです。
そのような現実を見ながら、教会二世の生きづらさの根っこには、発達性トラウマの問題があるかもしれないと考えるようになりました。発達性トラウマを軸に考えると、納得が行くことが少なくありません。
続く

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