宗教2世、教会2世 信仰が心理に影響するポイント こんな思い違いをしていませんか

宗教二世/教会二世

臨床の場面でテーマになる神学や教義のポイントを挙げておきます。

(1)人間は感情を感じてはならない

感情の機能は創造のみわざによって人間に与えられた賜物です。

(2)怒ることは罪である

感情は刺激に対するリアクションであると定義すれば、ニュートラルです。むしろ、非常に価値高い、モチベーションを上げることができる、意味のある機能です。

(3)葛藤しているのは信心が足りないからである

葛藤は人間の感情が深く関わる、人間の機能です。複数の情報に自分の中で折り合いを付けられないときに感じる感情です。黄色信号であったり、次のステップへの後押しであったりします。実際、人間が成長できるときには、必ず葛藤があります。葛藤は成長の母です。

(4)裁いてはいけない

聖書は裁くことを禁じていません。正しく評価することを勧めています。ただし、やり過ぎないようにブレーキをかけています。やり過ぎると、自分を滅ぼすことになります。

(5)人はどのような場合でも赦すのがキリスト者の標準であり、義務である

赦しは事実をなかったことにすることではありません。寛容でもありません。赦しは事実への向き合いです。

(6)罪責感はカミの声であり、カミは良心を通して人間に罪を知らせる

罪責感は必ずしもカミの声ではありません。罪責感はインストールされたものである場合が多く、インストールされると、罪責を感じるように脳内に回路が出来上がります。次の8の項目を参照してください。

(7)教会に行かないとカミの罰を受ける

罰を与えるカミは、聖書のカミではありません。受け手の側の見捨てられ不安や懲罰意識が問題になるケースがあります。

(8)聖書を読み、祈りを献げるのがキリスト者の標準である

やれば祝福かもしれませんが、やらないと神の天罰がくだるとか、神の祝福が止まるといったことはありません。

(9)奉仕をやめることは罪である、罪ではなくても不信仰である

奉仕は自発的なもので、どの程度やるかは自由に決めることができます。契約もありません。

(10)カミのみこころに従わないことは罪である

カミのみこころは、何か外にある基準ではなく、自分がいきいきと生きていることがカミのみこころです。

(11)カミには計画があるので、自分で決めてはいけない

人間には感情、意志、知性が与えられています。自分で考え、決めることも大切です。思考停止はよくありません。

(12)カミ第一はキリスト者の標準であり義務である。カミを第一にしないのは罪である。

カミを第一にするかは、人間の側で示すことはできません。

(13)カミに委ねることが信仰である

委ねることは否定しなくても、思考停止にならないことが大切です。

(14)どれだけ酷い教会でも転籍すべきではない

どの教会に行くかはほとんど選べません。最初に参加した教会に行くケースがほとんどです。しかし、参加が辛いのであれば、どの教会に参加するかを選ぶのは信徒の側の権利です。教会や牧師との間に社会契約関係がないからです。

(15)自分が辛い目に遭っているのはカミの訓練である

聖書のカミは辛いことを人間に与えるカミではありません。天罰はありませんし、訓練する場合もわざわざ意地の悪いことをするカミだとしたら、それはもはや愛のカミではありません。

(16)親には従うべきである

「父母を敬いなさい」という聖書のことばは、「尊敬する」意味ではなく、「尊重する」くらいのニュアンスです。自分を痛めつけた親を尊敬せよというのは無理筋です。親のことは尊敬できなくても、親の人生も人生だったという意味で尊重はできます。

(17)イエスの教えを聞いたことのない人、告白したことのない赤ちゃんや高齢者は、天国に行けない

罪の判定基準は一人ひとり異なります。文化や状況が最大限考慮され、すべての人が納得できるフェアな判定が出るのが神の愛と公平です。

(18)キリスト者は絶対に離婚すべきではないし、離婚は大罪である

離婚については、聖書がどこまでのことを言っているかを学んでおく必要があります。紋切り型にダメと言ってみたところで、臨床の現場では意味がありません。

(19)社会的権威には服従するのがキリスト者の標準である

キリスト者の責任は、それが従うべきすぐれた権威かを見分けることにあります。

(20)自分が苦しい目に遭っているのは自業自得である

聖書の神が、罪の罰として苦しみを与えることはありません。訓練するために苦しい目に遭わせることもありません。自業自得と思える場合でも、全部のことがわかってやっていることは稀で、精いっぱいだったのです。その「精いっぱい」をカミは見ていてくださるはずです。

主なものを挙げてみました。いずれも、バランスのよいキリスト教の理解が必要です。中には、聖書の解釈と神学的な考察をしながら、聖書全体から答えを導き出さなければならない、やや高度なものも含まれています。

臨床の現場では、教条的な宗教は機能しません。「これが正統的な神学理解だ」という言い方でキリスト教を提示すると、その言い方がクライエントを傷つけることになります。

キリスト教の場合ですが、心理士がクリスチャンであっても、神学の専門性まで身につけているわけではありません。実際クライエントの中には、聖書や信仰についても整理したくて来談される方がおられます。心理学と神学の専門性を持ったカウンセラーが求められています。専門職になる必要はありません。それでも、聖書とキリスト教全般の理解を持っていることが望まれます。

付 2025年から始まったキリスト教牧会・心理臨床の研修プラットフォーム「KCPSコンソーシアム」には、帰納的聖書読解法とキリスト教神学全般の学びも組み込まれています。興味のある方はHPをご覧ください。

続く

河村従彦

臨床心理士/牧師
カワムラカウンセリングルーム運営
KCPSコンソーシアム(牧会・心理職研修会)主宰
牧師人材育成、大学非常勤講師、ボランティアカウンセラー養成、出版、児童発達支援、職員コンサルにも従事、企業の総務にも関わる
東京、神奈川、静岡で教会を牧会
臨床心理学とキリスト教の両方に関わる領域に関心
「神イメージ理論」はライフワーク 博士(人間科学)
若い頃のアイデンティティ崩壊、人生後半にメンタルバランスを崩した経験から、人のお役に立ちたいと願って臨床を続けている

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